それでもなお、人を愛しなさい 逆説の10カ条【言葉】
それでもなお、人を愛しなさい 逆説の十か条
- 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
それでもなお、人を愛しなさい。 - 何か良いことをすれば、
隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。 - 成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
それでもなお、成功しなさい。 - 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
それでもなお、良いことをしなさい。 - 正直で素直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。 - 最大の考えをもった最も大きな男女は、
最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。
それでもなお、大きな考えを持ちなさい。 - 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。
それでもなお、弱者のために戦いなさい。 - 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
それでもなお、築きあげなさい。 - 人が本当に助けを必要としていても、
実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
それでもなお、人を助けなさい。 - 世界のために最善を尽くしても、
その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。
ケント・M・キース
汝の敵を愛せよ
「汝の敵を愛せよ」という言葉があります。
敵ですから、一般的な考え方では、憎むべきものでしょう。
それでも、敵を愛しなさい、という。
それは、報われないかもしれません。ひどい仕打ちを受けるかもしれません。
敵を愛したからといって、相手が味方になることもないかもしれません。
それでも、敵を、人を愛する。
なぜ、それでもなお、人を愛しなさいなのか?
そこには、愛すれば愛されるというような「報われる」という考え方や、与えれば与えられるというような「ギブ&テイク」という考え方は、ないのではないでしょうか。
自分が、人を愛する人間でいたいかどうか。
それとも、人を行いや考え方で、分けて、付き合い方や接し方を変えるのか。
自分が愛のある人間でいたいかどうか?人を愛する人間でいたいかどうか?
決めて、選ぶのは、自分ですね。