わたしは正しい。相手は間違っている?『嫌われる勇気』
わたしは正しい。相手は間違っている?
「人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。」
「わたしは正しい。すなわち相手は間違っている。そう思った時点で、議論の焦点は「主張の正しさ」から「対人関係のあり方」に移ってしまいます。つまり、「わたしは正しい」という確信が「この人は間違っている」との思い込みにつながり、最終的に「だからわたしは勝たねばならない」と勝ち負けを争ってしまう。これは完全なる権力争いでしょう。」
『嫌われる勇気』(p.107)
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
自分も正しい、相手も正しい?
こんなふうに単純ではないかもしれませんが、自分が正しいと思うと、相手が正しいとは思いにくいですよね。
自分も正しい、相手も正しい。
などと言ったりします。
たしかに、そういう考え方もありますが、なかなかむずかしいと思います。
正しいと思うことを、やめる
正しいと思うことを、やめる、停止する。
正しさを求めるのではなくて、別のことを求める。
そうすると変わってくると思います。
お互いにとって良いことを求める
もし仮に、仲良くしたい、協力したいと思っているのであれば、お互いにとって良いことを求める。
良さを求めるようにすると、変わっていくと思います。
もちろん、価値観は違うかもしれません。
それでも、相手が間違っていると考えるよりは、良いですね。
小さな正義感より、大きな幸せ
正しい、間違っている。
そういう思考法だと、敵と味方という話になっていくこともあると思います。
たいしたことではないことで、正しい間違っているということ自体が「間違っている」のではないでしょうか。
小さな正義感を持つのではなく、もっと大きなお互いのより良いを求める。
そうすると、少しだけ大きな幸せがあるのではないか。そう思います。
嫌われる勇気
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え